「ね。飲み行かない?」
待機が終わって家に帰ろうとする俺を呼び止めたのは、待機所の扉からひょっこりと顔を出した久しぶりに会った気がする恋人。
お互い上忍っていう立場もあってなかなか時間が合わない俺たちだけど、出来る限りお互いに都合を合わせて会うようにしていた。
こいつと付き合って、もうすぐ五年。
そろそろ頃合いか、といつ会ってもいいように腰にあるポーチに忍ばせている小箱を渡すタイミングはなかなかない。今日はきっと、そのチャンス。
どきどきとざわめく心臓を落ち着け、「うん」と返事をした。
「かんぱーい!」
「乾杯」
かつん、とジョッキの合わさる音の後、ぐびぐびと豪快にビールを流し込むこいつは昔から一切飾らない。誰の前でもへりくだり媚びを売ることはなく、はっきりと物を言い、それでも堪えるところはぐっと堪えることのできる人間だ。
人として、出来ている。彼女を一言で表すならその言葉が全く違和感なくしっくりと当てはまる。だからこそ、こんな偏屈な俺と一緒にいることのできる希少な人間。
「かァー!やっぱり任務後のビールは最高だ!」
「はは、そうだね」
忘れたいけど忘れたくない過去があって、人と関わることを無意識に避けていた俺が、唯一ずっと一緒にいたいと思った人。
そんな俺の過去を全部理解したうえで、それでも支えると、笑って背中を押してくれたのが彼女だった。だからこそ俺は、彼女と生涯を共にしたいと思っている。
「最近忙しかったの?」
「んーまぁね。そこそこがんがんに働かせてもらってますよ」
「あんまり待機所にもいなかったでしょ」
「まぁね。待機所に回る時間はなかったかなぁ、直接五代目から任務はもらってたし」
「…そっか」
もともと会う時間が多かったわけじゃないけど、最近は特に顔を見ない日が多かった。
なるほど五代目から直接の要請なら納得だ。俺と同じく暗部出身の彼女は、女だてらに部隊長も務め、五代目からの信頼も厚いからね。
「家には帰ってるの?」
「うん。まぁ二、三日に一回くらいだけどね。お風呂と仮眠のために」
「頑張るのはいいけどさ、身体だけは壊さないでよ?おまえが倒れたら心配すぎて俺いてもたってもいらんなくなるからさ」
「…ん、ありがと」
俺がそう言った後、すこし視線を伏せ物悲し気な表情を浮かべた彼女に眉を寄せた。
…なんだろう。嫌な予感がする。
「ね、カカシ」
「…ん?」
いつの間にか空になったジョッキを置いた彼女は、手を自分の膝に乗せ、張り付けたような笑顔を浮かべてこう言った。
「別れようか、私達」
俺の勘や予感は、当たってほしくないほど当たってしまう。
「ほら、カカシも忙しいじゃん?お互いに時間あわせるのもしんどいし、ね?」
「…」
「カカシは部下もいるし守らなきゃならないものがたくさんあるけど、私はそんなことないし、ただの一上忍だしさ」
「…」
「気分を悪くしないでほしいんだけど、私ももう良い年だし、そろそろ身を固めて子供もほしいなって思ってて」
「…」
「でも、このままだらだらカカシと付き合ってたら、私も幸せになれないし、カカシも幸せになれないし」
「…」
「…だから、私と別れてほしい」
「…っ」
当たり前に、彼女の未来には俺がいるものだと思ってた。
彼女の隣には俺がいて、子供なんかも作ってて。
俺と彼女が幸せを感じる道は、同じだと信じて疑っていなかった。
だからこそ、彼女の幸せの道に俺がいないことが、理解できなかった。
「…おまえのその幸せに、俺はいないの?」
「…え?」
「おまえが幸せを感じることの隣に、俺はいないの?」
「…っ」
我ながら情けないと思いながら、口から出た言葉はそれだけだった。
付き合ってる女から別れを告げられた男が縋りつくようなことをするなんて、と、自分の言動を客観的に見ている自分がいる。
「……うん、いないよ」
「…そっか」
苦しそうに、申し訳なさそうに、彼女の口から紡がれたのは、俺への拒絶。
そんな俺の心を表すかのように、いつの間にか開いていた腰のポーチから、彼女のための小箱がことりと静かに落ちる音がした。
別れはいつも唐突に告げられる
あの日から一週間後、彼女と大名の縁談があったと聞いた。
fin.